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春曜山実相院西念寺1
鳥羽四丁目にある浄土宗・春曜山実相院西念寺である。孝謙天皇の時代(749~)の創建と伝えられるが定かではない。元は鳥羽城内の三之丸に建立され、室町時代に法誉上人が住職となったのをもって中興開山とする。江戸時代、鳥羽藩主内藤家(1633~)の菩提寺となり、現在地へ移転させたと伝えられる。本尊は阿弥陀如来立像。山門を入ると、本堂の他に鐘楼、庚申堂、宝篋印塔、仏足石、地蔵尊石大座像、千体堂、観音堂などがある。内藤家は内藤和泉守忠勝まで三代続くが、延宝8(1680)年、江戸増上寺で執り行われた徳川四代将軍家綱公の法要で刃傷事件となり、忠勝公は切腹、お家断絶となった。この事件は松本清張著「増上寺刃傷」にも詳しく語られている。この事件の21年後に起こる忠臣蔵で有名な浅野内匠頭長矩は、内藤忠勝の実姉の子で甥にあたる。内藤家三代は今も西念寺に眠り、三百有余年の時を超えて、ここ鳥羽と赤穂とを結ぶ深い縁を感じる。また九鬼氏が鳥羽に入る以前の鳥羽城主であった橘氏(橘宗忠)の墓碑もここに祀られている。橘氏累代の菩提寺であった浄土宗吉祥寺は、享禄2(1528)年の建立とも天正18(1590)年の建立とも言われるが、初めは岩崎の茶臼山にあり延宝7(1679)年に桃隠谷に移された後、廃寺となり西念寺に移されたと言う。【参考文献】西念寺作成「浄土宗春曜山西念寺案内板」
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- 歴史・文化
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- 神社・仏閣
- 撮影場所
- 鳥羽市鳥羽四丁目
- 撮影日
- 2018.3.12(平成30年3月12日)