鳥羽デジタルアーカイブス

コンテンツ詳細

門野幾之進先生誕生地記念碑除幕式1

門野幾之進先生誕生地記念碑除幕式1

安政3(1856)年、鳥羽藩士・門野豊右衛門親賢の長男として鳥羽で生まれ、号を靄渓(あいけい)と称した。明治2年、14歳で上京。慶應義塾に入学して英語を学び、同11年には板垣退助の求めに応じて23歳で立志社の英語教師として赴任した。同16年慶應義塾の教頭となり同35年に退職するまで20年間にわたって教職に付いた。欧米諸国の視察から帰国して5年、明治37年に千代田生命保険相互会社を創設した後、共同火災、千歳火災、三井信託、時事新報社等の経営に携わり、昭和7年貴族院議員となった。昭和13年に郷里の生誕地に記念碑が建立された同年11月狭心症のため83歳で逝去した。写真4枚は記念碑除幕式の時のものである。写真裏面には「昭和十三年七月十七日 門野幾之進先生記念碑除幕式の祭撮影/前列右より 稲垣重兼・門野りん・先生・令夫人・中村信子/中断右より 丸山功・小澤愛国・辻本甚助・館野勝二・土井正司・門野錬八郎・中村松枝/後列右より 村田某・富田某・吉田兼介・山田鎗之助・家田綱吉・別所左太雄」と記した張り紙がある。【参考文献】村田昇司著『門野幾之進先生事蹟文集』同刊行会・昭和14年発行。

大分類
まち・観光
小分類
観光施設
撮影場所
鳥羽市鳥羽一丁目
撮影日
昭和13年7月17日(1938.07.17)