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養殖真珠作業場の一部

養殖真珠作業場の一部

養殖真珠発祥の地とされる鳥羽の海は、冬期になると海水温がアコヤ貝の生息限界を下回ることが有ることから、年間を通じての漁場としては不向きとされてきた。しかし、過密養殖による英虞湾内の疲弊が進み、「避寒」という養殖技法が広まると、昭和10年代には桃取・小浜・坂手・安楽島・鏡浦等で真珠養殖が行われるようになり、特に戦後の20年代~30年代は引本真珠、覚田真珠等の大手業者が大規模に進出してきた。写真は、撮影場所は不明であるが、その頃の作業小屋風景である。この真珠養殖業も、同40年代の初期になると生産過剰に伴う不況と、漁場環境の変化による斃死率の増加で徐々に筏数は減少。牡蠣養殖や海苔・若布養殖へと切り替わっていった。【参考文献】鳥羽市編・発行『鳥羽市史 下巻』平成3年発行

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産業
撮影場所
(不明)
撮影日
昭和30年初頭(1955)