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鳥羽・答志島和具九鬼嘉隆の胴塚
慶長5(1600)年、関ヶ原の役に西軍に属した九鬼嘉隆は戦いに敗れた後、答志島の潮音寺に隠れた。東軍に属した子・守隆は、自分の戦功を以て父の罪を許されようと家康に請うて聞き届けられるが、その報が届かぬうちに和具の洞泉庵で自刃した。五輪塔は花崗岩で、高さ1.75m。地輪正面に「慶長五年庚子十月十二日前薩州大守泰宗常安居士 大守守隆」、裏に「寛文九年十月十二日九鬼式部少輔隆季 再彫刻之」と記される。三重県指定文化財。
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- 歴史・文化
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- 石碑・像
- 撮影場所
- 鳥羽市答志町和具
- 撮影日
- 昭和初期(1920年代)